【Z・CD特別情報41】

 

 

 

ショパン ポーランドの歌による幻想曲 作品13
〜ショパンの原点を知る作品〜

 

 

ショパン ポーランドの歌による幻想曲 作品13
〜ショパンの原点を知る作品〜  No.41

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イディル・ビレットについて》
(第5話で紹介し、評判となったホルヘ・ボレットJorge Bolet, 1914年- 1990年)はキューバ出身のピアニストである。)。
今回はイディル・ビレットİdil Biret, 1941年 アンカラ - )の紹介。彼女はトルコの女流ピアニスト。

 

7歳のとき、トルコ議会が特別法を通過させたおかげで、幼くして留学が可能となり、パリ音楽院に入学してブーランジェらの指導を受ける一方、ブラームスなどの作曲家を、マドレーヌ・ド・ヴァルマレットから教わる。
15歳のとき3つの部門で受賞して卒業すると、コルトーやヴィルヘルム・ケンプに師事してさらに研鑚を積んだ。

 

16歳から数々の国際的に名高いオーケストラと共演しており、これまでにロンドン交響楽団、ボストン交響楽団、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ドレスデン・シュターツカペレ、スイス・ロマンド管弦楽団、フランス国立管弦楽団、シドニー交響楽団と共演している。

共演した指揮者に、ヘルマン・シェルヘンやピエール・モントゥー、エーリヒ・ラインスドルフ、ルドルフ・ケンペ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス、チャールズ・マッケラス、ジャン・フルネ、モーシェ・アツモン、岩城宏之などがいる。

 

ボストン交響楽団でのアメリカ・デビュー当日にケネディ大統領暗殺事件が起き、聴衆に事件が伝えられた直後に演奏する事となった。

ブーレーズのピアノ・ソナタ、リゲティの練習曲、それぞれの全曲録音がある唯一の女流ピアニストであることでも知られる。

リゲティの練習曲14A「終わりの無い柱」を、女流で録音した例はこれのみ。

ブーレーズのピアノ・ソナタ第二番をスタジオで「再録」した例は、世界で彼女しかいない。

 

 

 

《ショパン:ポーランドの歌による幻想曲について》

ショパンが、マズルカやポロネーズなどポーランドに起源を持つ民謡に作品のモチヴェーションを求めたことは知られている。

ポーランドの歌による幻想曲は、そのような作品と類似する作品であるが、ポーランドの歌の実態は不明である。

ここにショパン自身が作曲した「ポーランドの歌による幻想曲」という作品を聞くにあたり、ショパンと民謡の関係の糸口をわずかに知ることとなった。

多くの作曲家の場合、民謡から旋律を引用し、作品の動機としていることが多い。あるいは旋律をそのまま使用している場合もある。

ポーランドの歌による幻想曲はオーケストラを伴うピアノ作品 であるがピアノ協奏曲と趣を事にする。
ショパンは2曲のピアノ協奏曲の他に、ピアノと管弦楽のための楽曲を4曲作曲しており、この作品はその2作目に当たる。

作曲が行われたのは1828年から1830年にかけてであり、協奏的作品の第1作目となった「ラ・チ・ダレム変奏曲」がロベルト・シューマンに激賞されてショパンの名声は世に出ることになった。

さらに同年には第3作目の協奏的作品となる「ロンド・クラコヴィアク」が続く。
ショパンの協奏的作品にしばしば見られるようにこの曲においても管弦楽の扱いは巧みなものとは言い難く、単に楽曲内の部分同士を繋ぐ役割を担っているに過ぎない。

楽曲のタイトルに示されるように、ショパンはポーランド民謡や同郷の作曲家・カロル・クルピニスキの主題を織り込んでおり、民俗色の強い仕上がりとなっている。

1834年に出版された総譜には、ピアニストのヨハン・ペーター・ピクシスへの献辞が掲げられている。

 

《ショパンのピアノと管弦楽作品》

 1.ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11 (1830年完成)
第1番とあるが、実際は2番目に作られている。最初に書きあげたヘ短調協奏曲を1830年3月17日にワルシャワでのプロデビュー演奏会で初演したのちに作曲に取り掛かった。

そして同年の10月11日、ウィーンへ出発する直前に行われたワルシャワでの告別演奏会においてショパン自身のピアノ独奏により初演された。

その後、1832年2月26日のパリデビューでの演奏会でも演奏されて好評を博したために出版の運びとなったことが翌1833年の初版に記されている。カルクブレンナーにこの曲を献呈したのも、パリデビューに尽力してくれたことへの感謝のためであった。その後もショパンは演奏会でもっぱらこの曲を演奏し、弟子たちにも練習させた。このことから、この曲を第1番として最初に出版したのはショパンがこの曲を自信作だとみなしていたからだと考えられる。

この作品は彼の故郷ワルシャワへの告別と、飛翔の意味が込められているといわれる。

ピアノ独奏部に対してオーケストラの部分が貧弱であると批判されることがあり、カール・タウジヒ(曲の構成及びピアノパートにまで改変を加えている)、ミリイ・バラキレフなどが自作の管弦楽編曲を残している。

 

2.ポーランドの歌による幻想曲 作品13 ( 1828-1830)
ショパンは2曲のピアノ協奏曲の他にピアノと管弦楽のための楽曲を4曲作曲しており、この作品はその2作目に当たる。
作曲が行われたのは1828年から1830年にかけてであり、協奏的作品の第1作目となった「ラ・チ・ダレム変奏曲」がロベルト・シューマンに激賞されて世に出ることになった。
さらに同年には第3作目の協奏的作品となる「ロンド・クラコヴィアク」が続く。

ショパンの協奏的作品にしばしば見られるようにこの曲において  も管弦楽の扱いは巧みなものとは言い難く、単に楽曲内の部分同士を繋ぐ役割を担っているに過ぎない。
楽曲のタイトルに示されるようにショパンはポーランド民謡や同郷の作曲家・カロル・クルピニスキ(彼は1830年3月17日に行われたショパンのワルシャワデビューコンサートの際に指揮を担当している)の主題を織り込んでおり、民俗色の強い仕上がりとなっている。1834年に出版された総譜には、ピアニストのヨハン・ペーター・ピクシスへの献辞が掲げられている。

3,アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22(Andante spianato et Grande Polonaise brillante )は、フレデリック・ショパンの管弦楽とピアノによる協奏曲的作品。1831年に管弦楽とピアノによるポロネーズ部が作曲されたが、後の1834年に前奏としてピアノ独奏による「アンダンテ・スピアナート」の部分が作曲され、1836年に現在の形でピアノ独奏版と共に出版された。
ピアノ独奏飯の方がはるかに演奏される機会が多い。

 

4.ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21 (1830年完成)
フレデリック・ショパン作曲のピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21は1830年に完成された。第2番という番号であるが、第1番よりも先に作られた(現在、ヤン・エキエル編纂の「ナショナル・エディション」では番号は付けられていない)。
完成した年の3月17日にワルシャワで作曲者のピアノ独奏により初演された。ショパンがワルシャワを去る1830年であったという。

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初演されたラジビーユコ公爵宮殿・ワルシャワ市内(筆者撮影)

 

5.ロンド・クラコヴィアク、正確には「演奏会用大ロンド『クラコヴィアク』」(Krakowiak, Grand Rondeau de concert)ヘ長調 作品14
完成は1828年。出版は1834年。作曲者の数少ないピアノと管弦楽とための作品の1つ。

クラコヴィアクとは2拍子で、シンコペーションや弱拍のアクセントを特徴とするポーランドの古都クラクフの伝統的な民俗舞踊である。アダム・イエジィ・チャルトリスキ侯爵夫人アンナに献呈されている。

初演は1829年8月18日にショパンが初めて訪れた、ウィーンで作曲者のピアノ独奏により行われた。

ショパンは管弦楽の扱いに不得手であるといわれ、2曲のピアノ協奏曲でも管弦楽パートは批判の対象とされ(ただし、現在のものは他者が改編した可能性が高い)、20代前半に書いたアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズに至っては、それは和声の補強やオブリガードに終始している。

これを最後に管弦楽付きの作品の作曲をやめてしまうが、その数少ない中で、この曲だけは例外であり、管弦楽パートは色彩的でどの作品よりも上手くかけている。特に、幻想的な導入部をアルフレッド・コルトーは絶賛したといわれている。

6.ラ・チ・ダレム変奏曲  モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲 作品2

ラ・チ・ダレム変奏曲、正確にはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲(Variations sur "La ci darem la mano" de "Don juan" de Mozart) 変ロ長調 作品2はフレデリック・ショパンが作曲した音楽作品。完成は1827年、ショパン17歳の意欲作であり、ユゼフ・エルスネルの指導の元で作曲者が書いた初めての管弦楽付き作品である。
友人のティトゥス・ヴォイチェホフスキに献呈された。

2年後の1829年8月11日、ウィーンのケルトナー劇場でのウィーンデビューコンサートにおいて作曲者のピアノ独奏により初演され、翌1830年に出版された。

この作品は初演後瞬く間に人気となり、この作品を知ったロベルト・シューマンが、自らが編集する『新音楽時報』の1831年12月7日号で「諸君、帽子を脱ぎたまえ! 天才だ」と絶賛したことは有名である。

《「ポーランドの歌による幻想曲」とビレット》
初期のショパンの作品としては、ストレートに感情を表しており、歌心が現れている。ビレットの演奏もそのあたりをうまく表現している。

収録されているのは協奏曲以外の4曲の「ピアノと管弦楽」の作品で、ショパンの初期の若々しさが、素直に表現されており、ビレットもあまり考えることなく、素直な演奏に徹している。

 

 

 

 

 

 

 

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