【Z・CD特別情報 】


ショパン探しの旅 正月号 
~プレハッチの演奏に見るショパンの世界~ 



今回は若手ピアニストから垣間見るショパンの世界をとりあげます。 
ショパンの演奏はどこに聴きどころがあるかは三者三様かもしれないが、
私は「華麗で輝く響き」に隠された「悲しみの数々」を表現できるピアニストを探している。

   これは、聴き手にとってそれほど難しい判断ではないでしょう。 
   第一に聴き手の視点が定まっていること。 
   第二にショパンの気持ちを共有すること。 
   第三にショパンが作曲した土地の風景を思い浮かべること。 
   この三点です。


  プレハッチ

    (演奏・録音Aクラス)

http://tinyurl.com/pwvn8ek

前奏曲集(26曲)、夜想曲作品62

 ラファウ・ブレハッチ(Rafał Blechacz, 1985年 - )は、ポーランドのピアニスト。2005年の第15回ショパン国際ピアノコンクール優勝者。この青年に未来を感じます。 (前奏曲と夜想曲作品62はともに聴きごたえがあります。)
  私はショパンが大好きである。皆さんもそうかも知れない。私は「華麗で輝く響き」に隠された「悲しみの数々」が「今は去った故郷の景色とダブって」妙に心を揺さ振られるところに魅力を感ずる。

 このショパンの響きの原点はどこにあるのか、是非とも知りたいと思い、それにはショパンが歩いた道を辿ることが一つの方法だと思い、私は「ショパン探しの旅」に出かけた。
2004年、真夏の太陽が照りつけるポーランド、ショパンの生地ジェラゾヴァ・ヴォーラ村へと向かった。ショパンはこの村で幼年期を送った。ワルシャワから西方に55キロほどのところだ。きっと昔は麦の薫りのする農村であったろう。今でもその面影は残っていた。 

 

    ショパンの生家(筆者撮影) 

     ショパンはピアノ作品のほかに「歌曲」も作曲している。ピアノと管弦楽の作品「ポーランドの歌による幻想曲」作品13もある。ショパンは「ポーランドの歌・舞曲(ポロネーズ・マズルカ)」にかなりの執着があったようだ。 1830年の秋、ショパンは20歳で革命前夜のポーランドを去り、ウイーンへと向かう。2度目のウイーンでショパンは、前年の1度目ほど歓待されなかった。ウイーンはショパンに冷たかった。きっと、ウイーン人は「華麗で輝く響き」のみを期待し、「悲しみの数々」が見え隠れするピアノ音楽はなにか「女々しく」「音楽の都」には相応しくないと判断したのではないだろうか。 

     私はオーストリー人について言えば「きらいだ」。プライドだけしかないオーストリー人との仕事は最もやりにくい。彼らはお金を出す人には寛大だが、お金にはシビヤーだ。だからオーストリー人の友達はひとりもいない。オーストリー人は「ドイツ語」を話すイタリア人と揶揄する人もいる。私も同感だ。まだイタリア人の方がましだ。 ショパンはウイーンでの生活をあきらめて、父親の祖国フランスの「花の都・パリ」へと向かう。その途上、ワルシャワがロシア軍によって陥落したしたとの知らせを聴き、エチュードハ短調「革命」作品10第12を作曲したといわれている。この話はありそうでよくできている。そうでなくともエチュードハ短調「革命」はショパンの激しさを伝える名曲だ。

     ショパンが目指した19世紀の「パリ」はサロン文化の華やかなりし時代であった。サロンは女性が主催し、画家、小説家、音楽家などの芸術家が社交界を構成していた。ショパンは幸運にもリストと巡り合った。
    ショパンはリストの一歳年上であった。リストはショパンを尊敬し、リストの紹介でショパンは一躍社交界の人気ものとなった。「華麗なワルツ」作品34第1はその時代を背景として作曲された。しかし、ショパンにとって「ワルツ」より『マズルカ』の方が遥かにポーランド伝統の舞曲であった。 ここでショパンは、食うためには『マズルカ』よりも「ワルツ」を作曲しなければならない、という妥協も必要であることを悟らされた。ちなみに、ショパンは生涯にわたり『マズルカ』を作曲した。『マズルカ』はショパンにとって忘れることのできない祖国であった。 

     パリでのショパンはその生涯を左右するもう一人の人物に出会う。男装の麗人・ジョルジュ・サンドである。彼?・彼女は小説家としてパリではすでに名をなしていた。ジョルジュ・サンドはショパンより6歳年上であった。
    二人の関係はたちまちパリ社交界の話題となった。 1838年秋ショパンはパリ社交界の喧騒を離れ地中海に浮かぶマヨルカ島でジョルジュ・サンドと一冬を過ごす事となる。 オリーブ畑の続く山中のカトルッハ修道院で過ごしていたショパンの肉体は、病魔(結核)に蝕まれていった。

    修道院は手入れが悪く、あいにくの雨季で雨漏りがしていた。必ずしも恵まれた環境とは言えないこのマヨルカ島で『前奏曲24曲』が完成されたといわれている。なかでも前奏曲『雨だれ』は雨漏りを表現しており、ジョルジュ・サンドは日記に、ショパンが一日中「雨だれ」を演奏していたと、記述している。 

  
          カトルッハ修道院(マヨルカ島 筆者撮影)



 今回聴いた曲目はピアノ協奏曲を除き、「マズルカ」「前奏曲」「練習曲」「ポロネーズ」「ワルツ」「バラード」「即興曲」「スケルツォ」「ノクターン」である。このなかで最も好きな曲は『ノクターン・ロ長調作品62第一』である。これは、マヨルカ島からフランスへ戻り、ショパンが最も祖国に似ていると、創作意欲を刺激され輝かしい黄金期を送ったノアンで作曲された。「華麗で輝く響き」はないが最もショパンの内面「悲しみの数々」を表す、名曲中の名曲である。また、「ノアン」はショパン弾きの「ピアニストの聖地」でもある。私はその点でプレハッチを今回の一枚としたい。 なお、拙著・ショパン探訪の写真集「名曲アルバムコンサート」~ショパン情熱の生涯~は現在絶版である。

 
        パリ・ペールラシューズ墓地にあるショパンの墓 
         ポーランドから持ってきた土とともに葬られた。
                  (筆者撮影) 




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